50歳の誕生日を迎えたとき、半世紀を生きてきたことに感動した。
と同時に、自分の人生が既に半分以上経過していた!
残された時間、どう死んでいくために、生きようか?と考えるきっかけに。
加えて、4年近い時間を叔母夫婦のサポートを任され、二人を見送った。
「お葬式」‥‥遠田 潤子著
叔母の場合も、ほぼ直葬。この本の中に、「直葬」を選ぶ理由を求めた。
子供のいない叔母夫婦。親類との交流が途絶えて久しい。祖先の墓を整理し仏壇も処分。自分たちの最後の場所も確保し、
「自分のお骨をお寺には運べないから。」と、葬儀屋さんも直葬も指定し、なんとお寺への「香典袋」も記名して逝った。
初めての経験、一人で遺言通りの儀式(?)をこなすのだが、心身の疲弊は想像を絶した。しかも、半年のうちに二人が逝った。血縁の無い叔父の、行政手続きは煩雑で、頭も身体も壊れるかもしれないと、危惧した。
人を送るエネルギーの大きさに驚いた。
著書は、父親を送る。父親が抱えていた問題も出現し、精神は赤剥け状態かと感情移入していた。今の時代、直葬が増えている。願わくは、わたし自身も望んでいる。
残された家族の気持ちはどうなのか?
「お葬式」は、残された人達のためにあると、実感する。