天気予報は、「注意報」か「警報」の繰り返し。
警報の場合、暴風になり、大雪になり、波浪と雷も追加。
ちょっと青空が垣間見えても、5分もしないうちに「吹雪」。
わたしの育った雪国は、こんなにも暮らしにくいところだったかと茫然。
母は、産まれてからずっとこの地しか知らない。
ここにも、唖然!!!!
雪の無い冬のの快適さは、どちらも体験しないと全く解らない。
この地を離れて、40年もの月日を過ごしたら、完全に忘れていた。
「しょうがねえこてね、冬だがんね。」
この一言で、我慢する母。
人生のすべてがこの言葉に集約されている感じ。
多少寒くても、空気が乾燥していても、青空が広がる‥‥‥明るい世界が存在する。
年老いた母には、しょうがないで済まされない気候。
今回、吹雪で前が見えなくても、降雪で傘が重くなっても、日常生活をこなしていた大変さを体感するべく、ほとんど歩きで買い物をこなしていく。
車移動が多い雪国で、車道は明け方除雪されたり、消雪パイプが稼働する。
逆に、真っ白な雪の歩道を歩く。
新雪や固まりかけた雪に足を取られ、結構疲れる。
これも「しょうがない」と受け入れてきた母が、悲しい。
したたかな母にとって、悲しさじゃなかったかな?
比較する体験が無かったことは幸い?
毎日の天気予報に、淡々と受け入れるようになってきたわたし。
これって「しょうがない」に順応した?