91歳の母、夏のサポート記録(14)
終戦記念日。77年。
当時小学生だった母の戦争体験は、山んなかの小さな集落での貧しい生活。
容易に想像できた。
姑の場合、その当時30歳になっていた。
しかも満州からの引揚者。しかも、舅は現地に抑留。
3人の子供たちは幼い乳飲み子から順に亡くなり、10歳になるかならない長女と生還。(7年後に帰国し、夫が誕生)
宮尾登美子の作品をそのまま体現した話に、涙が止まらなかった。
100歳で天寿を全うした姑が、今を生きていたらなんと表現するだろう。
全世界であれほど平和が叫ばれ、原爆投下の日には広島と長崎で平和への祈りがささげられる。どこに、誰に、届いているのか?
自然災害で、水の有難さを訴えるTVの映像を眺めながら、貧しい国や戦時下で、日常の中で満足な水を得られない人たちの存在に、胸がつまる。
日常の目の前の91歳の母のサポートに手一杯で、自分の体調管理に手一杯で、
もやもやを丸めて固めて、思いっきり投げたところで‥‥‥
何にもならない!
ただ、問題意識は常に持って、出来ることはないかと、
アンテナは張っていたいんだなぁ。
「文句言われてねえで、出かけて来るかな。」と、母はデイサービスへ。
(;゚Д゚)ええ~~ (。´・ω・)ん? わたしは文句ばかり母に言っていたのか?
平和な今日のため、気持ちを改めて、母の帰宅を温かく迎えよう。