母が93歳の誕生日を前に他界して、2カ月余り。
開放感よりも、喪失感が付きまとう。
自分の事すら出来なくなったことを嘆き、何の役にも立たないと嘆き、
わたしと弟に迷惑をかけてばかりと、
「早く終わりにしたいんだて。」
「また逝かんねで、失敗したて。」
自分と向き合う時間の長さに疲れていた母。
「急がなくても、その時は必ず来るから。」
慰めにならない言葉をかけ、とりとめもない思い出話に耳を傾け、
「一生懸命に育ててくれて、ありがとう。」を伝え、
後悔はない。
ただ、時折襲う喪失感‥‥‥会いたいなと涙ぐんでいる。
‥‥‥‥めそめそしてんじゃねこてね‥‥‥(*´艸`*)‥‥
母の叱咤激励が聞こえてくる。
そして、母の作ったブラウスの数々、ジャケットやコートの数々。
わたしに作ってくれたコートとジャケットはまだ30年以上経っても、着ている。
母が自分のために作ったままで、
まだ着ていなかった黒のブラウスや紳士服地ののジャケットは、シンプルで使える。
おしゃれだったから、時々の流行に合わせて、作っていた。
外気温や気分に合わせて着ていたコートが6枚。
ブラウスが20枚以上。
パンツはサイズが全く合わないし、ウエストがゴム使用なので廃棄出来るが、
他は、わたしが着ることは無いのに、捨てられない。
大切な不用品が存在する事、初めて知った。
愛用していたブラウスで、ポーチやトートバックにしようかと思ってみても
鋏を入れることが出来ない。
わたしの気持ちは、まだ赤剥け状態かもしれない。