いつの頃からか、自分の母は「毒母」と確信していた。
”愚痴・悪口・妬み・嫉み・自虐” のオンパレード
その掃き出し口は、二人姉弟の長女であるわたしにのみ向けられた。
この20年近く、夏は母を信州に迎え入れて、滞在してもらっていた。
年に数回の帰省を、この7~8年は、毎月になり
とうとうこの冬は、わたしが滞在することとなった。
さすがに、吐き出す毒に辟易することは、何度も伝えてあったことと
それよりも体調が優れなくて、自分を維持することで精一杯だったことで、毒の掃き出しは成りを潜めていたが‥‥‥‥‥
食欲も回復し、多少動けるようになり、起床時間も早くなり‥‥‥‥‥
目に付くのは‥‥‥‥‥わたしの存在。
一ヶ月以上サポートし続けて‥‥‥‥‥
「満足しているわけじゃない!」を、さり気なくアピール?
要するに、彼女は素直に「ありがとう」が言えない。
親であることを嵩に、上から目線。
多分、何をどうやっても、子供が親に仕える(?)のは、”当然” の考え。娘なら、尚更!
わかっていても、水面下の小さなストレスが、いつの間にか増殖。
そんな時、BOOKOFF詣で発見した。
わたしは、母からつなごうとした手を振り払われたことはない。
そもそも、手をつないでほしくても、そんな空気感がなかった。
ものごころついたときには、2歳下の弟が母のすべてを独占していた。
そして、わたしは手のかからない子へと成長してしまった。
口だけは、生意気の極みで、ほっといても大丈夫と思われていたようだ。
助けてほしくて、布団をかぶって声を殺して泣いた日があったことなど、母は知る由もない。
著者の母親シズコさんとは似ても似つかない母だが、救われたのは、第三者の目で子供を育て終えた今の年齢で「シズコさん」を読むことで、彼女の言動が想像できるから。
優秀な方だった。
一つ気が付いた。
なぜ見栄を張るのかという著者の問いに
「劣等感でしょうね。」と。
学歴の無い母が、とにかく見栄を張り続ける意図が、そこにあった。
そんな時代じゃないでしょと思いつつ、それが母を支えていたことも事実。
完璧じゃない人間が親になる。完璧じゃない親子関係は、当たり前に存在する。
学びだ、遊びだよ。
さあ、笑顔発令!( ´∀` )