「山と本があれば生きていける」
40年近く前、社内誌に掲載されたわたしの文面の一部!
なんと!!!! 青臭い!!!!! (*ノωノ)
20代前半は、山に夢中だった。登れないときは、本をむさぼっていた。
いずれ山に登れなくなるとか、本を読むことも出来なくなる「老い」など、想像できなかった。
今年も北岳は雪をかぶり、澄んだ青空に映える。
知らなければ、わあ~~~と歓声を上げて見つめる山のひとつ。
この地で家族と暮らし始めて早々の新年。新聞記事で知った。
大晦日、山岳会の大先輩が、北岳で雪崩により、亡くなっていた‥‥‥
"絶句" ‥‥‥言葉が出ない日々を過ごし、年を重ね、
それでも空気が澄んで雪をかぶるころの「北岳」を見る度、こころが "ひり" つく。
わたしは "びびこ" 会員だったと思う。
※わたしが育った地域では、一人前に扱えない子を ”びびこ” と呼ぶ。
筋力が無い、体力も無い、根性も無い。「好奇心」だけが取り柄。
仕事は定時に終わることが無かったから、山行で夜の集合時間にはいつもぎりぎりか遅刻。おまけに夕食の準備も出来ず、仲間からおすそわけ。
荷物も、なんとか5キロ程度にしたいと泣きついていた。(ほかの会員、特に男性は15キロ越え?)
山行途中は隊列真ん中でありつつ、ペースメーカーと化していた。
「頑張れよ~~」の大声は、わたしにのみかけられていたようなぁ。(*ノωノ)
食事にしても、高校時代の山行(山岳部でした。)は、カレーか炊き込みご飯の繰り返し。ところが、新年を雪山で過ごす際、白ワインはもちろん、年越しそばやおせち料理(簡易ではあるが)が登場し、山女(40年ほど前の呼び名)の女子力に驚かされた。
当時、まだ小娘のわたしにとって、亡くなられた大先輩は高校の数学教師。真っ黒に日焼けした精悍な顔立ちの40代。心遣いと共にいろんなことを学んだ。
山で過ごす夜は、30代40代の先輩たちの問わず語りで、常に聞き役を楽しんでいた。
同世代の女子がわたしを含め3人。3人でキャーキャーと過ごした日々も蘇る。
‥‥‥な~んで吹雪に、あいつは死んだ!‥‥‥の歌声がこだまする。
今もご冥福をお祈り申し上げます。