91歳母、夏のサポート記録(27)
コロナ禍の今、基本的に病院は【面会謝絶】
入院中の家族であっても、面会謝絶。
特別に用事が出来た際に、
日時はもちろん、体温の記入といくつかの質問事項を記入した紙を受付で確認されてから、玄関口でナースセンターまでの道程を許可される。
それも14時~21時まで。
毎日、14時を待って用紙を記入し、病状を伺いに‥‥‥‥
「基本、わたし達も外部の方との接触を避けたいんです。」
と言いながら、母の重篤な状況を理解している看護師の方たちは、丁寧に応じて下さる。
時に、顔を見させてくれることも‥‥‥‥
玄関口では、
「担当者からの連絡ですか?」
何も無くても、頷いてスルー。
ナースセンターでの取次も、冷ややか!
5日目に対応の看護師から
「呼びかけに、応えていますよ。」
会わせて頂き、声をかけるが、気管支への酸素吸入を苦しがるばかり。
1週間後は違っていた!!!!!
「お忙しいのに、申し訳ありません。毎日ご迷惑ですよね。」
「本来は、外部の方とは接触を控えたいです。」
「おかけください。」
(。´・ω・)ん?
「えっと、今朝、酸素吸入も他のチューブも外れました。今は、点滴だけです。」
「喉に管が入っていたので、なかなか声が出にくかったのですが、今はしゃべられます。」
「リハビリを兼ねて、立ち上がってみました。」
(;゚Д゚)ええ~~ (;゚Д゚)ええ~~
「そうなんです!もう、わたしもびっくりです。」
「失礼ですけれど、91歳という高齢で頭も正常で、あれほど快復した人初めて見ました。凄いですよ!」
(;゚Д゚)ええ~~を繰り返すしかなかった。
あの母、やっぱり蘇った!( ´艸`)‥‥‥
生命力もさることながら、初めて救急搬送されたとき、ドクターにむかって
「おれなんか、きっつい(気が強い)んだて!」と言い放った姿を思い出した。
※ 7年ほど前に初めて救急搬送。今回3回目
単なる強がりと笑い飛ばしていたけれど、今なら納得。
この芯の強さが、わたし達姉弟を裁縫の内職で育て上げ、父を介護して看取り、一人で暮らしてきた。精一杯頑張り続けてきたこと、納得。
退院の暁には、素晴らしい頑張りにあっぱれと伝えよう。