91歳母、11月のサポート記録(6)‥‥‥11月中の事
91歳母の転院当日、前夜から「酸素吸入」の濃度があがり、
転院は「看護士同乗の民間救急車」になった。
「こんな状態での搬送は初めてです。苦しそうで、可哀そう。」
と、同乗看護士が口にするほど、母の状態は良くない。
受け入れ先でも、
「ここまで状態が良くないとは‥‥‥」
と、相談員も驚く。
付き添ってくれた従姉さえ
「こんな状態で、退院させるんだねえ。」
と呆れる。
わたしは‥‥‥病院も営利目的のサービス業と捉えていた。
立場によって、見解が異なり、その中で決定権を持つ人にゆだねられる。
「看護士同乗の民間救急車」は、ドライバーと看護師でテキパキと仕事をこなしテキパキと集金して帰っていった。¥46,900-
コロナ禍で活躍しただろうし、高齢化社会では必須の民間救急車。
存在を知るいい機会になった。
そして、久し振りに会えた母。熱は無いが、呼吸が苦しそうで、会話が少ない。
「ここでもうしばらくは会えません。」
看護士の言葉に、母の三回目のお別れの言葉。
「これが最期だの。」
手を握る。
本当に、最後になるかもしれないと握り返す。
痛い思いと辛い思いを重ねるだけの、救命手術だったのかと、困惑。
救われたのは
「遠くに住んでいらっしゃるので、時々お母様の状態をご連絡させて頂きます。」
担当看護師の言葉。小さいだの地味だのと不満を抱いたわたしが申し訳ない。
こじんまりとアットホームな病院かな?
痛みの少ない、穏やかな時間を願う。
相変わらず書類の記入が多い転院手続きと、聞き取りに1時間ほどを要して、
従姉と帰路につく。
「あの子(従姉)と、美味しい海鮮丼を食べに行きな。」
母の言葉通り、母のお気に入りのランチを頂く。
美味しいのだが、初めて食べた時の感動が、無い。
母が居ないせいかなと思いながら、
”もう一度食べたい” 位で丁度いいのかもしれない。
密度の濃い午前中、頭が熱い。
とりあえず、11月のサポート終了。