91歳の母、夏のサポート記録(30)
母が緊急搬送され、2回の手術に、2回の危機。
会えなくても、この1か月、わたしは何回病院に通ったのか?
1か月に我が家と実家を3往復は、キツカッタなぁ~
弟にとっては、仕事を抱え、わたしよりも長距離移動で、母となかなか関われない歯がゆさ‥‥‥(。´・ω・)ん? あったかもしれない。
そこは、長男第一主義の母にとって、わたしが度々出向て雑務をこなすよりも、
弟の励ましは、一番の特効薬‥‥‥‥そう思っていた。
彼が出向くと、冗談も言う‥‥‥‥わたしの面会時より恢復していたこともあるだろうが‥‥‥‥
母の安定を聞いて、帰宅する前日に、「豆乳」を差し入れると‥‥‥‥
TVカードの追加は要らないが、
- カーデガン2~3枚
- 半纏
- たまごボーロ‥‥‥(。´・ω・)ん?
看護師を通して、差し入れ依頼!
わたしが面会した時、
「もうなんもいらん。なんも飲みたくねえし、なんも食べたいもんもねえ。」
あれは何?
「たまごボーロ⁈」
「今日のおやつに出たんです。美味しかったからって言ってました。」
麩菓子の「ふうちゃん」の次は、たまごボーロなんだ‥‥‥( ´艸`)‥‥‥
( ´艸`)‥‥‥凄い!弟効果? 食欲出てるよ~~
暫く大丈夫かな?と、買い物に走る‥‥‥‥あ~~娘は雑用係か!
まてよ、衣類のありかなんて、弟が知る由もない。わたしをあてにしたってことか。
どっちでもいいか。振り返ったら、確かに「毒母時代」は存在した。
関係性が変化する中、あるがままだな。
あるがままを受け入れて、出来ることをこなす‥‥‥‥多分これも遊び
わたしの長かった夏がようやく終わる。