「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
読みたいと思いながら、今に至った。
想像と少し違って、後半は辛くなった。
91歳母のサポートを続けている今の状況とも、子供の頃やわたしが成長していく過程での心情とも、重なる部分での、共感が辛い。
母親に対する鬱陶しさや、甘えも、母親である立場からの子供への想いも
どちらも経験中だから。
加えて、「オトン」の武骨さ、不器用さは、生きてきた時代背景そのもので
「足りない一言」が歯がゆい‥‥‥夫にも通じる。
「僕」は、亡くなった「オカン」への態度をかなり後悔しているけれど、
現役「オカン」(わたし)にしてみたら、
子供は丸ごと大切な存在。
元気で暮らしていてくれたら‥‥‥充分嬉しい。
"切なく愛おしく、鬱陶しい存在" なのは、お互い様。
ほどよい距離感で、お互いに笑顔でありたい。
う~ん、これもまた昭和な「オカン」の象徴かもしれない?
やはりわたしは、子供に
「母さんてさ、頑張りながら、好きなことにも手を抜かなかったよね。」
って感じなことを、
わたしが亡くなった後に言わせたいなぁ (*´艸`*)