娘も息子も、「何のために生きているの?」
ときに泣きながら、ときに深刻な顔で聞いてきたことがあった。
朝から眠りにつくまで、目の前のことで一杯のわたしにとって、かなり新鮮な質問に考え込んでしまった。いつものように、困ったときは図書館だ。小学生のときから本に救われてきた。「なぜ生きる」にはじまり、何冊読んだことか。納得のいく答えが見つからず、自分でもそうやって悩んでいたはずなのに、答えを見つけていなかった。
”生かされている”
しばらく時間が過ぎてふっと浮かんだ。
一人じゃ生きられなくて、目の前のご飯さえ作る人がいて、流通する人がいて・・・
いろいろな人がいて、支えられて生かされている。
気がついたときには、子供たちはすでに家を離れ巣立っていた。
あのときの回答だけど、どや顔で説明を始めたら「えっ! そんなこと言ったっけ?」
そんなもんか・・・・
そして、86歳の母
「この年まで苦労して、何のために生きているんだか・・・」
86歳にしてその言葉が出てくるんだ。
お気の毒と思いながら、「その程度の苦労は特別じゃないよ。」といったら、
「お前に何がわかる!。」
年をとっての苦労の押し売り?
人は生きたように死んでいくって何かに書いてあった・・・ 続