90歳の母、4月のサポート記録(2)
「裏に居た(住んでいた)○○さんが久しぶりに顔出してくれたて。」
「良かったね。」
「良かったて。今度、畑で作っている冬菜、持ってくる言ってた。」
「楽しみだね。」
「○○さんが、川向うから、”たまにはお茶飲みにこねかね。” 言ってきたけどさ。
"そこんちの玄関の階段、上がらんねえんだて。あんたこそ、遊びに来な" 言ったこて。」
(。´・ω・)ん?
「随分前に、馬鹿にされたことがあって、絶対付き合わんて言ってたのに?」
「いいんだて。」
「そうなんだ。あんなに嫌って、わたしの帰省の度に怒って愚痴っていたのにね。」
と、どうやらこれが地雷だった⁈‥‥
「おれだって、人と喋りてえなるこてね。」
「毎日毎日、TV見てるばっかじゃ、ヤダこて!」
「そりゃそうだね。でもさ、同世代は、動けなくなるし、認知症になるし、もうしょうがないんじゃないの?」
なんと、また地雷踏んだ!!!!
「お前は、
しょうがねえ、しょうがねえばっか言うけど、
話しぐれえしてえんだて!」
昨年12月に救急搬送され、退院してようやく痛みから解放され、気候も穏やかな日々。いく分動かれるようになったら、退屈⁈‥‥らしい。
先月、久しぶりに4歳年上の友人に会うことで、「愕然」としていた。
動きが悪く、眼が見えにくくなり、部屋が荒れ放題だったらしい。
お茶がこぼれたシミや、食べこぼしや埃‥‥‥‥
‥‥‥‥母は、わたしがホローしているから、部屋が片付いている事解っているのか?‥‥‥‥
おまけに、耳が遠い友人の姿が、衝撃的だったらしい。そこに、自分の今後の姿を重ねた?
「○○さんには会いに行かないの?」
「あんまり会いてえねえて。」
川向うから誘ってくれたのは、70代前後の方。
多分、社交辞令では‥‥‥‥母は、長年無視していたのだから‥‥‥
色々否定されたと勘違い(?)し、わたしに言い返せなくて、
思うように動けない不甲斐なさも重なって、切れる。
我慢できなくて切れる?前頭葉が委縮して切れやすくなるんだから、当然か‥‥‥‥
サポートが始まった時点で、
母は母であって、すでに母ではないと認識すべきだった。
彼女は90歳の老女。
高齢になるほど、一人を楽しめるようになろう!と学んだ。