91歳母、夏のサポート記録(26)
「S状結腸憩室穿孔」で腸の一部を切除した母。
手術は生きて終了。
翌日には、もう面会謝絶‥‥‥コロナ禍での対応。
ほっとした弟が
「一人だと、しんどかったな。」(;゚Д゚)ええ~~
‥‥‥剣道・柔道・空手を経験し、身長175㎝で、デブじゃないが、顔もでかいが態度もでかいのに?40年来の仕事をこなしてきた自信が、ふてぶてしいし‥‥‥
この10年来のわたしを無視してきたことなど、全く意に介さずに、しゃべる。
お互いに、緊急時の対応を母からの依頼をすり合わせる。
(;゚Д゚)ええ~~
「おふくろは、おれが死んだらどうしたらいいか、姉ちゃんがよくわかっているから、言われるとおりにすればいいんだ。と言ってた。」
(。´・ω・)ん? そこんとこ聞いてない!
わたしの言う通り?
わたしは、実家やこの地との縁が切れたらいいのだ。
生きている時こそ大切だから、母が亡くなったらその後は全て弟にゆだねたい!
不動産をお任せする代わりに、母の少ない預貯金や保険金や年金の類も、一切いらない。
預かっていたまとまった現金を弟に渡し、貯金通帳の話を始めると
「いや、一度にいきなり言われても困るから。それに、おふくろが回復する事だってあるんだから。」と、打ち切られた。
図体大きくても、母親を失うかもしれない動揺が伝わる。
わたしに出来る事?
もう帰ってこないと早とちりしたように、ゴミ袋を抱えて、捨てたら怒るだろう母の衣類をどんどん詰め込む。一抱えもあるゴミ袋が2つ。
細々した花瓶や等の陶器類を小袋に詰め込む。
‥‥‥そうだ!喪服を用意しよう!‥‥‥
あれこれ葬儀の準備を始めたら、逆に恢復する!
聞いたことが無いジンクスを作りあげて、早朝に帰宅し1泊で戻ってきた。
交代で弟がいったん仕事に戻ることにして帰宅。
くらくらする頭を抱え、会えないとわかっている病院へ。
疲れややつれが見えたのか、
「心配で、一目でも会いたいけれど‥‥‥ダメなんですね。」と、100%断られるとわかって、力なくポツリ。
まだあどけなさの残る看護師さん
「少しお待ちください。」
で、色々条件を確認しながら、あくまでも特別で、家族の中でも一人だけでと‥‥‥
ほんの2~3分、会えた!!!!! ( ´艸`)‥‥‥
疲れ切ったまま、機械につながれている。
呼びかけに反応する。気管に入っている管を抜こうとするために、右手をテープで固定。そのためにむくんだ手が、切ない。
そして気管支への挿管が、かなりの苦痛とわかる。
医療って、傷や病気が治ればいいという事か‥‥‥
それでも、ドレーンからの内容物の色がきれいになっている。
とりあえず、現状維持?