ある時‥‥‥多分、母が80代でわたしが50代?
「年取ったら、面倒見てもらうために子供を産んだんだこてね。」
ごく当然のように母の口から出てきた言葉に、二の句が継げなかった。
わたしは、親の老後の面倒を看るために産まれた⁉
これを10代とか20代で聞かされていたら、二度と母に会うことは無かった気がする。
わたしは‥‥‥‥自分の子どもたちに抱いた事のない感情。
が、夫は娘が結婚したら同居したいと考えていた!!!!!
どちらにしても、愕然というのか、子供は親の所有物扱いに "怒り" を感じたのは確か。
ただ、年を重ね、歴史小説も読み、いろいろな経験値も上がり、
最近はまっている大河ドラマ "光る君へ" でも理解できるように、
結婚は権力や家の繁栄、存続のためにあった。
家父長制度(昭和22年に廃止されたにもかかわらず、令和の今も根強く残る!)が当たり前の時代に産まれて育った母にとって、
一姫二太郎のわたしはお世話係(雑用係)で、弟は跡継ぎとして理想的な存在。
もう、納得するしかない。
ただ、母は世の中が変化している事も実感している。
あんなことを言いながら
「子供の世話になんかなりたくない。」とも言っていた。
中越沖地震で被災して、ライフラインが復活まで我が家に1カ月半ほど滞在した際に
「一生分世話になったから、もう二度と世話にならん。」と言ったこともある。
70代だった母にとって、動けなくなることは想像できなかったのだろう。
もっと若い頃は、明るくポジティブだった。未来があったからかもしれない。
思うように動けなくなって、思い描いた人生との差に悲観して、
不安を募らせた結果に思えてくる。
最終的には
「この家で死ぬ!」と言い、
「この施設に入るから、申し込みをしてくれ!」
ならば、母の気持ちを素直に受け止めて、出来ることをこなしていこう。
今月も母の面会で帰省する日が近づき、
病状が悪化しないようにと祈りつつ母の言葉を思い出した。