老夫婦、逝ってしまった。
年明けの1月に叔母が、そして7月、叔父も。
片道300㎞、3年半前は楽勝だった。
初めてサポートを依頼されたとき、桜の季節。
沿道の桜と菜の花のコラボに目を奪われ、高速利用をを半分。
国道を満喫。
緑燃える季節から、灼熱の日差しの夏、紅葉も、雪景色も。
新しい道を知る楽しみと、お二人が回復して退院帰宅の笑みをみるのも、嬉しいこと。
僅か、3年余りで「回復不能」を知る。
繰り返す入退院で、弱っていく姿が‥‥‥かける言葉も‥‥‥‥
力になれる嬉しさは、役に立てない辛さに変化。
わたしの身体もきつくなった。毎月通うのはためらわれ、重くのしかかる。
わたし一人でお二人を送る事無く、ご近所に助けられた。
最期に叔父の親族とも出会えた。
驚いたのは、地域行政の「温かさ」。
市役所には、頻繁に出向いた。もともと市町村合併前は「町役場」。
「市役所支所」に変更されても、小規模。
病気で障害を抱えたことで出向く回数が増した。「事情説明(子供のいない叔母夫婦の姪)」を繰り返すわたしは、何人かの方の記憶にあった。
叔母に続く叔父の死亡を知り、
「大変でしたね。お疲れさまでした。」
「何度も見かけるので、知ってます。」
ねぎらいの言葉に救われた。
火葬式、葬儀、納骨と終了。わたしの中に、風が吹く。「空洞」がある。