92歳母、3月のサポート記録(1)
名古屋在住の息子が、母に会いたいと言ってきた。
「予定の日まで、生きていたらいいよ~。」から数週間、無事経過。
名古屋から新潟へのアクセスは、かなり時間がかかる。
一旦信州まで来て、わたしがバス停で拾い、高速で向かう。
面会までに時間があったので、施設の斜め前の菩提寺に向かい、墓参り。
早めに入室しても、母は時間通りに連れてこられた。
やっぱり、満面の笑み!!!!!
「まぁ、大きくなったのう。」
「ばあちゃん、それ毎回言ってる!」と笑顔で答える息子。
そして始まる、施設内の出来事報告。
‥‥‥隣室は、母の自宅のご近所さんだった。
ただ、入所時からすでに要介護5(母自身も要介護5ではあったが)で認知症も患い、
生活すべてに人の手が要る状態。先日その方が亡くなった。
ご近所同士と施設側で知っていたのに、お別れをさせてくれなかった!‥‥‥‥
‥‥‥その方への食事の介助がずさんで、母は切ながっていた。
「オレが代わりに食べさせてやりたかったて!」
「車いす乗っているようじゃだめだけどさ。(自分の事)」とも‥‥‥‥
わずか15分余りの間の会話に
「ばあちゃん!すげえ~」と息子が言った。
他の高齢者と比べたことが無かったから、職場や友人などの会話の中で
90代でまともに会話出来たり、最近まで一人暮らしだったり、
70代半ばまで公民館で卓球を楽しんでいたり、実はボーイフレンドも居たと伝えたら
「いやぁ~すごい!」
「あの年で、しっかりした会話して、別の人の事まで心配できるってさ、
大したもんだよなぁ。しかも毒舌!(笑)」
※全館冷暖房の空調システムらしいが、母の個室は冷暖房が効きにくいらしい。
隣室の方が暖房が効くので、寒がりの母に隣の部屋の変更を申し出たところ、
「亡くなったご挨拶もしてないのに、のこのことその部屋は使えない!」との返事。
母なりの矜持ってことなんだろう‥‥‥しょうがない。